ほこたてつうしん

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 サマースナイパー

週末恒例の新選組史跡めぐり。今回は川崎市麻生区・東京都町田市・東京都多摩市にまたがる布田道・小野路を歩いてみたよ。


小田急多摩線の黒川駅で下車し、鶴川街道(江戸道)をひたすら歩いて布田道へ。ここは、かつて近藤勇や土方歳三が出稽古のたびに通った道なのだ。文久2年(1862年)7月13日、多摩郡小野路村の橋本家に剣術の出稽古に来ていた沖田総司が麻疹にかかり、馬に乗せられて運ばれた道でもある(後述する小島資料館に資料が)。先生方も同じ景色を見たのかも!


当時の人たちは平気で1日100kmとか歩いたらしいけど、わたしには3kmでも厳しかった。暑くて暑くて暑くて本気で死ぬかと思ったよ。沖田先生、わたしやっぱり武士にはなれそうもないです……。ていうか一応山道なんだから、ハット&ザック&化繊ウェア&トレッキングシューズの本気装備で行けば良かった。グーグルマップで見たときは楽勝だと思ったんだけどなー。


そしてご自慢のプラティパスの代わりに生茶のペットボトルを握りしめ、フォウ・ムラサメみたいなゆるファッションに身を包んだわたしが這う這うの体で辿り着いたは小島資料館。ここでは、近藤局長のどくろマーク(ゆるキャラ)入り稽古着や、近藤・土方・沖田の直筆の手紙が見られるよ。先生、たかだか150年前の人の書いた文字が読めないです……。みんな達筆過ぎ。


そのまま歩いてると本気で熱中症になりそうだったので、バスで多摩センター駅へ。中央公園には新選組と所縁の深い旧富澤家住宅が移築されている。沖田先生もこの玄関をくぐったのかなー。富澤政恕さんは文久元年(1861年)8月27日、近藤勇の4代目襲名披露の野試合に尽力したらしい。その野試合、わたしの幕末妄想の定番ネタだよ。

文久3年(1863年)2月8日、試衛館一派は浪士組として江戸を出発する。そして明治2年(1869年)5月11日に土方が戦死するまでの短い間、新選組は切った張ったで歴史にその名を刻むのだ。今回辿ったのは、彼らがまだ新選組と呼ばれていなかった平和な時代の痕跡。

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ミユキ

「ほこたてつうしん」 は、任天堂とガンダムをこよなく愛するミユキの日記、だったのですが、さいきん山歩きと少女マンガのことが多いかもです。スヌーピー、ギズモ、クルテク、チェブラーシカ、犬や猫と遊ぶことも大好き。日記のタイトルはそのとき聴いていた音楽や読んでいた本から取っていて、本文とは無関係だったりします。メールはこちらまでお願いします。

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